まさるのクラスルーム

よく笑い よく泣き よく怒り よく考え よく見て よく聞く

早起き

この日記はちょう適当です。
一ヶ月更新がないと、メダルだかバッチだかがなくなっちゃうらしいので、なんかもったいない気がして、更新します。

いま就活のエントリーシートとか言う紙切れだったりデータだったりを送るのにめちゃくちゃ忙しくてですね。
好きなことをする時間がないですね。

やれやれ。

一日予定がない日があっても、寝て過ごすことが多くて、結局何も出来んですね。

やれやれ。

早起きの重要性に最近というか、ずっと前から気づいてはいたんだけど、なかなか実行できてなくて。
一日に充実感を感じられないと、次の日にも希望が持てないというか。そんな感じですね。

起きるのが遅いと、その日にできることも限られてくるわけで、充実感が得られないわけです。
まさに今日のように。

そろそろ寒さも和らいできたんだし、布団から出ることも用意になってきたでしょう。
がんばろう。

でも俺は冬が好きだから、ちょっと残念だなー。
ばいばい冬。
また来年。

性格の話

僕たちには一人ひとりそれぞれの人生があります。
全く同じ人生を歩んできた人は誰一人としていない。
たとえ幼稚園から大学まで、さらには就職先までも一緒だったとしても、その中で経験してきたことは違うもので、ユニークなものです。

いままでの人生での経験が、自分を創り上げています。
挫折したり、悲しい思いを引きずったり。
頑張った甲斐あってうまくいったり、 なんとなくやってたけど成功しちゃったり。
好きな人のことで頭がいっぱいになったり。
いろんなことを感じ、心に刻みながら僕らは生きています。

いままで経験してきたことはみんな違うから、そこで感じたことも違って、それぞれユニークな性格が形成されます。

僕はいま大学生で、いまの時点でも結構性格って人それぞれで、言葉で表現することって不可能だよなあって思います。
だけど、人生経験はこれからもどんどん増えていくわけで、そうするとそこでまた形成される考え方も出てきて、今以上に性格って多様性を持つようになるんだろうなあって思いました。

挫折でも悲しい事でも、もちろん嬉しいことが多いに越したことはないけど、 たくさんのことを経験したい。そして、深みのある人物になりたいと思いました。

たまにいるよね。薄っぺらい人間って。まー、甘ちゃんな俺がこんなことを言うのも気が引けるけど。
しゃべってると、「この人きっと同じ事しか考えて来なかったんだろうなー。いろんなことを感じたりして、心に刻んで来なかったんだろうなー」って感じる人に会ったことがあると思います。 
そういう人にはなりたくないなと。

いろんな表情をもっていて、 感受性豊かな人間になりたい。いろんなことを感じて、カラフルな心を持った人になりたいと思ってます。
この人はどんな人生を歩んできたんだろうって興味を持ってもらえるような人間になりたいな。 

はてなOne

はてながリリースしたはてなOneなるSNS(なのかな?)が今日から使えるようになったという話を聞いて、
「へ~、使ってみたいけど、まだ招待が必要なのか~。じゃあ、使えるのは数カ月後くらいになるのかなー」なんて思ってたら、はてなからメールが来ててw、無事登録できた。

僕は顔がわかる友人にブログの存在とかを教えてないから、 はてなOneとか招待したらアカウントが全部割れてしまうので、友人を誘うつもりはない。
ついでにTwitterも同じ方針だから、いまのところタイムラインに自分しかいない寂しい状況www
これってどうやってフレンドを増やしていけばいいんだろう…。Twitterはつぶやいてれば謎に増えてくけど。

招待できるけど誰もしないのはなんかもったいないので、はてなOneに興味がある人はコメントいただければ招待しますよ~。

豊島ミホ

最近豊島ミホさんの本を読んでいます。

最初に読んだのがコレ。

豊島ミホさんという人がどういう人なのか知らないで読みました。
この本はエッセイです。

ふむふむ、割と自分のコンプレックスに正直な人なのかなと思いました。
たぶん自分の世界を持っていて、その中で遊んでいる方が、外出するよりも好きなタイプなのかなという印象を受けました。

『檸檬のころ』は結構有名で、読んだことはなくても知ってる人は多いんじゃないかと思います。
そんなヒット作があるにも関わらず、今は作家としての活動は休止してるみたいです。

ふーん、なんかもったいない気もするけど、たぶん色々考えた末の決断なんだろうし、勇気のある人だなー。
作家ってヒット作があれば、お金の問題とかは大丈夫なくらいになるのかなーなんて、豊島さんにしてみれば「余計なお世話だわい」ってことも考えました。

そんな感じで豊島さんの人となりを若干掴んだ状態で読んだのがコレ。

陽の子雨の子 (幻冬舎文庫)

陽の子雨の子 (幻冬舎文庫)

登場人物が、それぞれの交流の中で成長していく様子を描いた小説です。

最初は盛り上がりのない退屈な感じのする小説でした。
なるほど豊島さんの人となりみたいなことを考えると、いきなり明るい感じでストーリーが幕開けすることはないのかもななんて考えながら読んでました。

でも、読み終わったあとの感想は、最初感じた退屈さを吹っ飛ばすくらいいいものでした。

たぶん僕が豊島さんよりの感性を持っているというか、登場人物と同じような行動を取るタイプで、ストーリーとの親和性が高かったから、すんなり物語を受け入れることができました。

「ねえ、大学ってどんなとこだか想像つく?」
「あたし、そこの海の傍の大学入ったんだけど、こんな小さい街の学校でも、やっぱりいろんな人が居てね。それと、コンクールとかが県内じゃなくて全国規模になっちゃうし。なんていうのかな、自分が測れちゃうんだよね」
「あたし、ここまでなんだーって、わかっちゃうの。大学に入らなくても、高校出て、将来が見えてきたところでそう思う人っていうのはたくさん居るんだろうけど……あたしは望みが高かったから、余計にこたえたんだよ、『限界』が」
「普通に終わりたくなかったの」

っていうセリフがありました。

これらに僕はすごく「あーそうだよなー。ホントそうなんだよなー」って思いました。

僕もわりかしプライドの高い人間です。
あまりに理想とかけ離れた選択肢しか与えられないと、そこから選ぶか、全てを否定して最初からやり直すかの選択で、後者を選ぶ傾向が強い。
そうやって浪人したし、今も就職浪人しようとしている。
(負け癖がついていて、よくないことだと思っている。それにやり直したって、理想に追いつける保障なんてどこにもないからリスキーだ)

なんか先が見えちゃっていらつくことってよくある。
だったらこんなことしないほうがいい。なにもしないほうが、これをやるよりいいじゃん、って思うことがある。
まー、こう思うのは、かなり精神状態が不安定で、使いものにならないクズ状態の時だけど。。

だから、こう言った登場人物がとった行動っていうのはかなり方向性としては良くないことで、逃げの姿勢だったんだけど、理解できてしまった。



と、ここまで書いて、他のところを引用したらもっと明るい方向のブログがかけたなーと思った。
失敗した。

んでも、せっかく書いたし、このまま公開します。

豊島さんの本は他のも今読んでる最中なので、また思うところがあったら書いてみようかなー。

無責任な言葉

無責任な言葉というものがある。
相手の状況を考えずに「大丈夫、大丈夫 」と言ってみたり、「お前ならできるよ!」と言い放つのがそれだ。

でも、それって悪いことばかりじゃない気がしている。

相手の置かれている状況を理解してしまったら、そんなこと言えないようなことだってあるだろう。
また、なんでもいいから、ただ励ましの言葉が欲しい時もある。

そうした場合に、無責任な言葉は有効になってくる。 

無気力すぎて寂しくなるようなときは、なんでもいいから励まして欲しくなる。

自分が置かれている状況の理解なんてどうでもいいから、適当な言葉でいいから、何か言ってほしい。 
「ははっ、何落ち込んでんのお前。お前なら余裕でしょ。」って適当な明るさと共に言って欲しい。 

そんな時だってあるだろう。  
 

住みづらくしたのは 自分たちの責任

小松未歩の曲に「風がそよぐ場所」ってのがあります。
これは昔から好きな曲というか、印象に残っている曲です。

僕には、好きだけど聴くと心がまっさらになって、あーーーーって気分になる曲があります。
「風がそよぐ場所」はまさにそうした曲です。


住みづらくしたのは 自分たちの責任

産まれたままで 誉められるくらいなら
悩みなんてないわ バラ色ね 人生は


この歌詞を聴くと、そうだよなーって思います。

結局は自分に全てのことが帰属している。
人生の主人公が自分であるなら、自分がすべての責任を多かれ少なかれ取らなければならないんだと思います。

自分が良い行いをしたら、良い結果が起こる可能性が高まる。
悪い行いをしたら、悪い結果がついてくるのは当たり前なことである。

そんなこと誰だってわかってる。
そして、誰だって良い行いだけをしていけたらいいと思ってるに違いない。

でも、それを実現するのはとてつもなく大変なことです。
良い行いより悪いそれのほうが楽な選択であることはままあります。
そして、面倒なことを避けたいのは誰しもが思うことでしょう。

だから悪い行いをしがちになる。
で、自分を取り巻く状況は悪化する一方になる。
まさに自業自得な状況です。
でも、それは自分の責任なわけです。

全部自分が悪い。
自分の行いが悪かったから、そんな状況になってしまったのです。

そこで、しっかりと立ち直って、責任から逃げずに立ち向かえたら、その人はすごいと思います。
そんなまともな人間なのに、どうしてそんな状況に陥っちゃったんだと思います。

普通そこまで追い込まれたら逃げ出したくなる。
自分の責任だってわかってるけど、もうどうしようもない気がするし、あーーーーーーーーーって感じになります。

周りの期待に背くのは気が引けるけど、
自分の責任を投げ出すのは人間としてダメだって分かってるけど、
いろいろ自分がどうしようもないからこんなことになっちゃったってわかってるけど、
わかってるけど、もうダメだ。

落ちるところまで落ちちゃった。

そんなことを感じて、上を向く気力がなくなっちゃう。

要するに、今の僕の事です。


「風がそよぐ場所」の最後の方に、以下のものがあります。

この大地に立てば しがらむ心を全部 掻き消す
あまりにも優しく包むから

風がそよぐ場所に僕らは生まれて
この涙さえ吹き飛ばせるよ 青い空 高く
約束だよ いつも通りの景色に 出逢えたなら
おいで ここまで スピードあげて 愛を探そうよ


ちょっと救いのある感じで、一緒に一歩前へ歩き出そうよみたいな感じで、優しく終わっています。(もうちょっと歌詞は続くんだけど)

でも、そこまでたどり着くには、「責任を受け止める必要があるんだよ。悩みはつきないかもしれないけど、それに立ち向かう必要があるんだよ。」ってメッセージがある気がします。

自分は落ちるところまで落ちた。
そして、今は上を向く気力がわかない。

だけど、いつかは前進しなきゃいけない。

頑張って生きよう。

三が日が終わって

今日から(正確には昨日から)仕事が始まった方が多いようです。
日本がお正月のおやすみモードから復旧し、動き始めました。

今日ちょっと遅めの初詣に湯島天神まで行って来ました。
そしたら電車でスーツ姿の社会人の方が多くいました。
あー、お正月は本当に終ってしまったんだ。また経済活動がスタートしたんだと感じました。

イベントの終わりを実感するのはなんだって寂しいものです。
イベントが来る前は、まだかまだかとワクワクしながら首を長くし 、
イベント中は、いよいよ来たかーとイベントを楽しむ。 

ついに今年のお正月というイベントは終わってしまいました。


でも、最近はイベントを楽しみにしたりすることがなくなってきました。
だんだん自分の人間らしさが薄れてきてる気がします。

自分が高校生の頃くらいまではクリスマスやお正月みたいなイベントごとを本当に心待ちにしていました。 
イベントがあったから起伏のある生活を送れていたと思います。 

一方で、今は大してイベントを楽しみにすることもなくそれを迎え、実感もないまま過ぎ去ってゆきます。
だから、以前と比べて生活が平坦になってしまっています。

これは、むやみやたらに感情を揺さぶられなくてプラスな面もあると考えることも出来ます。
でも、僕はなんか感受性がなくなっちゃったみたいだなーってマイナスに捉えています。
それは人生がつまらなくなった気がするからです。

なにかを心待ちにすることのワクワク感はとても心躍るものだし、それがやってきた時の喜びは格別でした。
夢中になってイベントを楽しんだ思い出は、確かなエネルギーをもっています。
自分は確かにあの瞬間を楽しみながら生きていたんだと断言できます。

そうした経験をしなくなってきているのは寂しいことだなーと思います。 

今ではどうして自分があれほどにお正月やクリスマスを楽しみに出来たのかちょっと思い出せません。
今でもそうなのは変わりないけど、小さい頃はクリスマスとお正月とがセットになってやってくる年末が大好きでした。
寒くなってくると「早く年末にならないかなー」と願っていました。
テレビは特番だらけになり、街は色づき、だんだんおやすみモードに変化していくなどの非日常が味わえる。
サンタさん、クリスマスプレゼント、紅白歌合戦、お年玉、親戚のおじさん・おばさん・いとこに会えるなど、特別に楽しみなことがたくさんありました。

今では日常のスピード感が落ちぬまま、サラーっと過ぎ去っていってしまうイベント達。
「あれ?明日大晦日なの?全然季節感がないわー」みたいな。
「一応紅白見てるけど、いまいち盛り上がらないなー」みたいな。
季節の移り変わりを、気温の変化としか捉えられなくなってきています。

イベントごとを楽しみにし、街の雰囲気や空気の匂いの移り変わりを感じていたのは、小さな子どもがもつ無邪気さの為せるワザだったのかなー。